音源定位の手がかりとなる
両耳間時差を検出する脳幹聴覚回路において
個々の神経細胞が形成する配線の
3次元的な構造を可視化した

ニワトリ胚(胚齢15日)、脳幹、大細胞核(NM)ニューロン

サンプル詳細:Tetbow、CUBIC法による組織透明化
観察手法:共焦点顕微鏡、蛍光
観察倍率:10X
撮影年:2019年

江川 遼名古屋大学大学院 医学系研究科 細胞生理学分野 特任助教
両耳間時差を検出する脳幹聴覚神経回路
2019 特別賞

受賞コメント

久場 博司 教授、江川 遼 特任助教、関川 博さん

(左より)久場 博司 教授、江川 遼 特任助教、関川 博さん

このたびは特別賞に選出いただき、大変光栄に存じます。

研究を進める過程にはしばしば心が震えるような瞬間があります。
私の場合、その1つは組織の中に潜んでいる神経回路の美しさを実際に目の当たりにするときです。

細胞たちは、こんなにも精巧な構造をどうやって組みあげるのでしょうか。そのしくみを解明すべく、基礎配属の医学部生達とともに日々研究に明け暮れています。
神経回路の魅力と研究の興奮を、この作品を通じて少しでも共有できれば幸いです。

研究の概要

両耳間時差を検出する脳幹聴覚回路の構築メカニズム

哺乳類や鳥類の多くは左右の耳に入力する音の時間差と音圧差の両方を手がかりとして音源定位を行っておりますが、実験動物として広く使われているマウスでは可聴域が異なるため時差検出回路が機能しておらず、遺伝子工学的な手法を使った時差検出回路の研究は進んでいませんでした。
私たちはニワトリ胚における脳幹聴覚回路でフレキシブルな遺伝子導入法を確立し、時差検出回路の可視化や操作を実現しました。
Hiroshi Kuba (2012)
"Structural tuning and plasticity of the axon initial segment in auditory neurons"
The Journal of physiology, 590(pt22): 5571-5579
久場博司 (2016)
"両耳間時差検出の神経回路機構"
Audiology Japan, 59(4): 211-217

メンバー

関川博1 医学部生
久場博司1教授

1: 名古屋大学大学院 医学系研究科 細胞生理学分野

用語解説

1.音圧

音の強さ。空気の振動に伴う気圧の変動分で、単位はパスカル(Pa)。音圧をヒトの聴覚感度に対応する相対尺度として表した単位がデシベル(dB)で、聴くことのできる最小の音圧である20マイクロPaを0 dBとして、音圧が10倍になるごとに20 dBずつ上昇する。(例:通常の会話の音圧は20ミリPa=60dB、ジェットエンジンの爆音の音圧は20Pa=120dB)

2.可聴域

聴くことのできる音の高低の範囲。音の高低は振動の周波数で表され、単位はヘルツ(Hz)。ヒトではおよそ20Hzが低音の下限、20,000Hzが高音の上限となる。この範囲を超える高さの音は超音波という。

3.蝸牛

左右の耳の奥に存在する渦巻き状の管の形の器官。音は鼓膜と耳小骨を介して蝸牛管内部の基底膜を振動させる。基底膜は周波数に応じて振動しやすい位置が異なり、高い音では耳小骨に近い渦の外側、低い音では耳小骨から遠い渦の中心部が振動する。この振動を基底膜に隣接する有毛細胞が検出して電気的変化を引き起こす。このように周波数成分毎に受容された音の情報は蝸牛神経を介して脳幹へ伝えられる。

4.脳幹

大脳を支える幹のような形の脳領域。生命維持に必須の神経回路が密集していて、感覚や運動の情報を中継する。聴覚情報はまず脳幹の橋と呼ばれる部分に入力したのち、さらに上位の脳領域へと出力される。

5.NM

大細胞核 (nucleus magnocellularis)。脳幹に存在する神経細胞の集団(神経核)の1つで、蝸牛から伝わってきた音情報をはじめに受け取る部位。哺乳類の蝸牛神経核前腹側核 (anteroventral cochlear nucleus; AVCN)に相当する。

6.NL

層状核 (nucleus laminaris)。神経細胞がシート状に並んだ神経核で、同側のNMからの入力を背側に、対側のNMからの入力を腹側に受ける。哺乳類の上オリーブ内側核(medial superior olive; MSO)に相当する。

7.遺伝子工学

遺伝子を人工的に操作する技術の総称。ここでは、クラゲやサンゴに由来する複数の蛍光タンパク質の遺伝子をランダムに導入する方法(Tetbow法)によって、NMの神経細胞の配線の一本一本を可視化した。

受賞者への質問

Q:音の高さによって、反応する神経細胞のなにが異なるのですか?

A:蝸牛には特定の高さの音に選択的に反応する細胞が規則正しく並んでいますが、同様の位置関係が聴覚情報を受け取る脳幹や大脳皮質の聴覚野でも保たれています。各領域を結ぶ配線は混線せずに音の周波数情報を伝えているのです。このような細胞の配置は周波数地図(トノトピー)と呼ばれ、その形成の背景には複雑かつ精密な分子メカニズムが存在していると考えられていますが、詳細はまだよくわかっていません。私たちが最も解き明かしたい謎の一つです。

Q:左右のNLの時間差情報はどうやって検出しているのですか?

A:NMの配線の形が両耳間時差検出のカギとなっています。シート状に並んだNLの神経細胞は左右のNMの配線から全く同時に入力を受けた時に強く活動しますが、その入力のタイミングは遅延線という枝分かれした配線様式によってわずかにずれます。その入力のずれによって、NLでは両耳間時差に対応して活動する神経細胞の位置が決まります。

Q:音圧だけで音源定位をおこなう場合の精度は? 時差を検出することで音源定位の精度はどのくらい上がりますか?

A:音圧差だけでは特に低音域での音源定位の精度が低下してしまうと考えられます。低音域の音は障害物を回り込むように伝わるので、左右の耳で聞こえる音の大きさに差が出にくい性質があります。逆に時差だけでは、高音域での音源定位の精度の低下が考えられます。音は波の位相のピークで神経活動に変換されるので、周波数が高まって位相の幅が短くなると、位相のずれの正確な検出が難しくなります。時差と音圧差の両方を手がかりに使うことで、幅広い音域での正確な音源定位が可能になります。

Q:上下方向の音源の位置はどんな仕組みで判断しているのですか?

A:音波は耳にぶつかると反射したり回り込んだりしますが、そのパターンは音の周波数ごとに異なります。これにより、音が来る方向によって特定の周波数が強まったり弱まったりして聞こえるのです。生き物はこの変化のパターンを無意識に学習して上下方向の音源定位に役立てています。そのため、例えば耳の内側の凹凸を粘土などで埋めたりすると上下方向の音源定位ができなくなります。

審査員講評

  • 音源定位に関する脳幹の神経回路を個別に同定、観察するための手法の開発は高く評価できる。組織透明化手法をうまく利用したイメージング技術についても優れている。
  • 宇宙を連想させるような神秘性があり、幻想的で極めて美しい作品である。
  • 見た目にインパクトがある。神経回路が美しく宇宙の広がりのように神秘さを感じた。
  • 通信ビッグデータを用いたインスタレーションを彷彿とさせるビジュアルで、観る人の想像を掻き立てる表現。
  • 神経科学者を魅了する神経回路の美しさを可視化している。