Well-Being飲み水の安全を見つめる

いつでも、清潔な水を届けてくれる上水道。そこには浄水施設や、給水・配管設備などを含む大規模なインフラがあり、そして飲料水の安全性を守るためのさまざまな取り組みがあります。前澤工業株式会社の環境R&D推進室 分析センターでは、水道原水や水道水に“クリプトスポリジウム”という病原性の原虫が存在するかを判定するために、ニコンの顕微鏡を役立てています。

  • 水道原水は、水道水の元となる、河川などの地表水や地下水のこと。

私たちの命を支える、安全な飲み水。

日々の生活から、農業、工業に至るまで、水は人の営みを常に根底で支えています。特に飲み水は、私たちの生命を維持するために必要不可欠。ユニセフ※1(国連児童基金)の調査※2によると、2017(平成29)年の時点で、安全に管理された飲み水を利用できる人の割合は、世界人口の約71%ということです。この“安全に管理された飲み水”とは、ユニセフの定義では、『自宅にあり、必要な時に入手でき、排泄物や化学物質によって汚染されていない、改善された水源から得られる飲み水』とあり、主には水道水が該当します。取水場・浄水場・配水場などの施設と網の目のように張り巡らされた水道管によって、身近にある蛇口から私たちはいつでも安全な飲み水を得ることができます。
日本の水道普及率は、厚生労働省の調査によると2017(平成29)年で98%※3。近年では、ごく微量の化学物質や臭気、有機物をほぼ除去することができる、高度浄水処理の導入も進み、安全に管理されたおいしい飲料水がより多くの人々に供給されています。
今回お話を伺ったのは、さまざまな水の分析を行なっている、前澤工業株式会社 環境事業本部 環境R&D推進室 分析センターの、馬場 記代美センター長。馬場さんは、特に水道原水や水道水の中に存在する可能性のある、病原性の原虫、クリプトスポリジウムの判定に関して、豊富な経験と高い技能、そして確かな知見を持つスペシャリストです。

前澤工業株式会社 環境事業本部
環境R&D推進室 分析センター
センター長 馬場 記代美さん
  • ※1UNICEF(国連児童基金)は、1946年に、第二次世界大戦で被災した子どもたちに対し、緊急支援を行うために設立された国際機関。現在、世界190以上の国と地域で活動している。
  • ※2出典:WHO/UNICEF JMP (2019) Progress on household drinking water, sanitation and hygiene 2000-2017.Special focus on inequalities.
  • ※3総人口に対する、上水道(給水人口が5,000人超)人口+簡易水道(給水人口が101人以上5,000人以下)人口+専用水道(寄宿舎、社宅等の自家用水道等で100人を超える居住者への給水、もしくは一日最大給水量が20㎥を超える)人口の割合

飲料水の安全を守るための水質検査。

前澤工業株式会社(以下前澤工業)は、上下水道施設やさまざまな水処理設備などを手掛ける、水インフラの総合メーカー。その製造拠点が、埼玉県幸手市にある埼玉製造所です。馬場さんがセンター長を務める、分析センターは、この埼玉製造所にあります。分析センターの役割は、主に水処理・排水処理設備などの提案・設計・開発・製造・施工に際して、対象となる水や排水のデータを分析すること。さらに「水道法第20条」に定められた水道局および保健所の登録検査機関として水道水などの水質分析を行っています。

埼玉製造所 正門
環境R&D推進室 分析センター
全国から届いた水道原水を、分析センターの恒温室で保管
分析センター内の一室

「水道法第20条」は水道事業のために厚生労働省が管轄する法律である「水道法」の中で、水道水(飲料水)の安全性を守る検査に関するものです。色や臭い、細菌、pH値、重金属、有機化学物質など、実に51の項目があり厳密な検査を定期的あるいは臨時で行うことが義務づけられています。以前は各自治体の水道局、保健所で対応していましたが、2003(平成15)年、民間委託が可能となりました。前澤工業は委託先として厚生労働省に登録された、全国約200施設の中のひとつ。さらに馬場さんは、検査技術の指導者として、一般社団法人全国給水衛生検査協会※1から認定されています。
前澤工業の分析センターでは以前、51項目の検査も行っていましたが、現在はクリプトスポリジウムという原虫の存在を判定する検査に特化した体制を組んでいます。この検査は前述した51項目には含まれませんが、非常に重要性の高いものとされます。検査には、複雑な手順と高いスキルが要求され、他では対応が難しいため、全国の自治体からの水道原水、水道水の検査を請け負っています。

クリプトスポリジウムは、主に人やその他の哺乳動物(ウシ、ブタ等)を宿主とする寄生性原虫で、飲み水などから経口感染し、感染後は小腸などで増殖して感染症をもたらします。人が発症した場合、腹痛、下痢、吐き気、発熱、頭痛などの症状を伴い、免疫力の低い人の場合は重症化して、命を落とす可能性もあるのです。水源がこの原虫に汚染されていた場合、浄水場で除去されていなければ、水道水を経由して感染が拡大する危険があります。実際に1993(平成5)年、アメリカのミルウォーキーで40万人を超える感染事例があり、日本でも1996(平成8)年に埼玉県越生市で約9千人が感染した事例がありました。

クリプトスポリジウム(オーシスト)4.5~5.5μm

クリプトスポリジウムの感染サイクル

  • ※1一般社団法人全国給水衛生検査協会は、水質検査や水質管理等の検査技術を熟知し、適切な判断力を持つ専門検査員の養成確保と検査の品質を確保するための精度管理を主な事業とする。クリプトスポリジウムにおいては、検査方法の指導と、セカンドオピニオンを実施し会員検査機関等の信頼性向上に貢献している。

蛍光・微分干渉顕微鏡でしかできない
クリプトスポリジウムの判定。

クリプトスポリジウムは水の中などでは、厚い殻に包まれた“オーシスト”という状態で存在しています。この殻によって強い耐性を示し、浄水場で殺菌のために使用される塩素でも除去することができません。そしてわずかな数※1でも強い感染力を持っています。この厚い殻と、強い感染力があるため一個体でも見逃せないという特徴が、クリプトスポリジウムの検査を難しくしています。
分析センターで扱う主な対象である水道原水、処理水の場合は、通常10~20リットル分を試料水として、これを少しずつろ紙によってろ過します。次にろ紙からのオーシスト等の粒子の分離、さらに選択・精製といった、複雑で非常に時間のかかる工程を経て最終的には数mlまでに濃縮。これを用いてプレパラートを作成し、ようやく顕微鏡での観察に移ります。

対象となる試料水のろ過
ろ紙からの分離
オーシスト等を選択・精製
プレパラート作成

クリプトスポリジウムは、微分干渉装置付きの蛍光顕微鏡※2でしか観察できません。最初に青緑色に蛍光染色した対象を蛍光観察し、オーシストの存在を確認。青緑色に光る丸いものがあれば、クリプトスポリジウムの可能性がありますが断定はできません。この状態では殻の外側しか観察できず、藻類などが光っている可能性もあるからです。そこで、微分干渉観察に切り換えて殻の内部構造を確認します。微分干渉観察は、無色透明な物体を明暗のコントラストで捉えます。明瞭な像を得るために、コンデンサーレンズ(集光レンズ)の位置やコントラストの調整などの微妙な操作が必要。「この微妙な操作がクリプトスポリジウムの検査が“難しい”と言われる最大の理由だと思います」と、馬場さんはおっしゃっていました。微分干渉観察で、厚い殻の中にバナナが四本あるような構造を確認できれば、ようやくクリプトスポリジウムの存在が陽性であると判定できるのです。

微分干渉装置付きの蛍光顕微鏡を操作する
微分干渉観察はコンデンサーレンズ、コントラスト調整などの微妙な調整が必要
蛍光顕観察で捉えたクリプトスポリジウム
画像提供:前澤工業㈱ 環境事業本部
     環境R&D推進室 分析センター
微分干渉観察で捉えたクリプトスポリジウム
画像提供:前澤工業㈱ 環境事業本部
     環境R&D推進室 分析センター

クリプトスポリジウムの全検査工程は、熟練度や検査対象となる水道原水や水道水の検体数にもよりますが、1日~数日。複雑でとても根気のいる仕事です。馬場さんは約20年この検査に取り組み続け、また顕微鏡によるクリプトスポリジウム検査技術の普及・指導にも努めています。長年使い続けてきた微分干渉装置付きの蛍光顕微鏡は、馬場さんにとって、まるで体の一部のように愛着のあるものだそうです。
「たったひとつのクリプトスポリジウムの分離・精製に失敗しても、顕微鏡観察で見落としてしまっても、結果は“陰性”となってしまい、危険な飲料水が提供されることにつながります。ほんのわずかしかいないクリプトスポリジウムを確実に見つけ出せるよう、今後も検査技術を磨いていきたい、またそれをより多くの検査技能者の方々に伝えていきたいと思います。」と馬場さんはおっしゃっていました。

人々に安心して飲める飲料水を届けるための水質検査。その現場でニコンの顕微鏡が活躍しています。

  • ※1クリプトスポリジウムは強い感染力を持ち、米国でのヒトへの感染実験では130個程度の経口摂取で半数が感染すると計算されている。その後、株によって 毒性に差があることが示され、10個未満の摂取で発症するとの報告もある。
    www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/396-cryptosporidium-intro[別窓で遷移します] 国立感染研究所ホームページより)
  • ※2一台で、蛍光観察と微分干渉観察を行なえる顕微鏡。蛍光観察時は、蛍光性の試料を励起する(光らせる)ことができる光源を使用。微分干渉顕観察時は、通常の光源を使用し、無染色の観察対象を光が通過する際の屈折率の違いや、表面の形状による光路差(光の進み方の違い)を明暗のコントラストに変えて観察する。